風のトポスノート831 |
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出来ない楽しみとしての遊び |
2013.5.24 |
昨日ご紹介したところのカヴァーアルバム細野晴臣『Heavenly Music』の最初に、細野晴臣の「天国の調べ」と題された文章があって、それも気に入っているのでご紹介したいと思う。 *以下、引用。 この文章のなかでいちばん好きなところは、「だが、出来ないということも楽しい」というところだ。「天上の音楽」は、もうなくなってしまった音響の記録だというが、それが細野晴臣のなかに生きていてそれを「残しておこう」と思ったが「出来ないことがわかった」。だが、楽しい。 その出来ない楽しさ、とてもわかる気がする。すでに天上ではないこの地上で、すでに天上をそのまま表現できないけれど、その「出来ない楽しさ」こそが、地上のかけがえなさを現出させている・・・というふうに感じる。 たぶん、「出来ないこと」というのは、とても大事なことなのだ。「出来ないこと」に気づくことでしか、出来ないことがあって、その矛盾のなかで「ごった煮」の「再構築」をしたりして、遊んだりすること。おそらく、この地上が存在しているのは、そうしてこの地上でしかできない遊びを遊ぶことなんじゃないだろうか。そんなことをこの文章とアルバムに収められた音楽を聴きながら、しみじみと味わっている。 |