風のトポスノート823
狭い科学思考を超えるために
2012.8.23



   吉本隆明の生前最後となったインタヴューは、『週刊新潮』2012年の新年号に
  掲載され、少なからぬ動揺を人々に与えた。
  「原発をなくすと人間は猿になる」という、エンゲルスの著作のタイトルをもじった
  見出しを掲げるこのインタヴューのなかで、吉本さんは年来の「反ー反核」の主張を、
  くり返された。3・11以降日本人が体験してきた衝撃も、その主張にはほとんどな
  んの影響をあたえなかったのだという、驚きとも失望ともつかない印象を、多くの人
  が抱いた。
  「反ー反核」をめぐる吉本さんの思考において、決定的な重要性をもっているのが
  「自然史過程」という概念である。この概念は直接にはマルクスとエンゲルスの思考
  に負っている。交換の中から貨幣が出現してくるのは、自然史過程に属する。放って
  おいてもかならずそれは人間の思考の中に出現し、いったん出現するともはや後戻り
  がきかない過程が始動して、そこからかならずや資本主義が生まれてくる。(…)
   自然史過程はまるで自然界の出来事のように、いかんともしがたい必然性をもって
  展開する。歴史というものは、自然史過程にギアが噛んでいるかぎりは、その流れに
  人間がどんなに抗ってみようとしても、逆戻りさせようと試みたとしても、そのよう
  な抵抗は大きなスパンで見るとやがて大きな自然過程の中に回収されてしまい、歴史
  は引き返しのできない展開をおこなっていく。吉本さんはこのような思考法を、あら
  ゆる領域の人間的事象に適用しようとした。
  (・・・)
    科学技術の展開はそれ自身が自然史過程に属している、というのが吉本さんの基
  本的な考えである。(…)吉本さんは(…)原子核技術そのものが、自然史過程に属
  するものであるとして、人間の心的能力との同一性を見出そうとしたのである。
   そしていったん開かれた地平を閉ざすことはできない、また閉ざしてはならないと
  いうのが、吉本さんの確信であった。そこから「エコロジー」と「反核」への頑強な
  批判が行われたのである。エコロジー思想は、疎外を本質とする人間の心的能力が開
  く地平を閉ざして、自然的秩序への回帰をめざしており、反核運動は技術というもの
  がもつ自然史過程の本質を見誤っている、というのが吉本さんの基本的な論点であっ
  た。
  (・・・)
   原子核技術は失敗したモダン科学の象徴なのである。それは吉本さんの思考に反し
  て、「自然史過程」そのものではない。それが「自然史過程」と一体化できるように
  なるためには、科学じたいがいまある科学から別の科学へと変化をとげていく必要が
  ある。そのときには人類は失敗したモダン科学の象徴である原子力発電の技術体系か
  らの脱却を、図っていくことになる。人類は猿に戻るために、原発をなくそうとして
  いるのではない。猿もその中で生きている「自然史過程」に合流するためには、科学
  と技術に新しい地平を開いていかなければならないと考えるればこそ、原子核技術か
  らの脱却を求めているのだ。
  (中沢新一『野生の科学』講談社/2012.8.1発行 P.458-468)

中沢新一も畏敬を込めて批判しているように、
吉本隆明の思想は、科学と自然史過程についてのあまりに素朴な認識に関して、
ある種の限界をもっているところがあるように思える。
それは、上記の引用部分でもある程度見えてくるところがある。

ある思想及び思想家の限界・・・といっても、
まるでその思想や思想家の全貌を把握したかのようにして語ることはできないし、
そうすることで陥ってしまいがちな視野狭窄は、
むしろそこに別の陥穽や危険をもたらしてしまうことになりがちであるのだが、
それでも、吉本隆明の著作を読みながら常々感じてしまうのも、
ある種の素朴さ(真っ直ぐさといったほうがいいかもしれないが)でもあるのだ。
もちろん素朴であるがゆえの真実への真摯な視線のために、思わず読み、
思わず耳を傾けてしまうということなのだけれど。

その素朴さ、真っ直ぐさがどこから来たのかということについては、
内田樹が吉本隆明について示唆していることで、少しだけ腑に落ちるところがある。
それは、「昭和人」の「断絶」ということである。

   明治人に明治維新があったように、「昭和人」には昭和20年8月15日という
  「断絶」があった。それまで生きた時間との不意の断絶という意味で、敗戦は明治維
  新と同じタイプの集団的なトラウマ経験である。この断絶をどのように受け止め、ど
  のように生き延びたか。その仕方には一人一人違いがある。けれども、断絶を受け容
  れねばならないという現実と、受け容れがたいとする思いの相克のうちに「昭和人の
  エートス」を形成する根本的な要件があった。私はそう考えて入る。
   しかし、断絶は「断絶以前」を自分のうちに抱え込んだまま「断絶以後」の時代を
  生き延びることを選んだ人間にとってしか存在しない。
  (内田樹「私的昭和人論」『昭和のエートス』文春文庫 所収2012.2012.8.10発行/P/15)

軍国少年でもあった「断絶以前」を抱え込んだまま
真摯に「断絶以後」の時代を生き延びることを選んだ人間の一人が
吉本隆明であるというと内田樹はいう。
ほかの著作で言及されていたことだが、
吉本隆明の著作はまったく外国語に翻訳されていないという。
丸山眞男の著作がほとんど外国語に訳されているのとは対照的なことだという。
もちろん丸山眞男が、吉本隆明を越えるような科学認識をもっていかかどうかはわからないが、
上記の内田樹「私的昭和人論」で以下のように言及されている部分は、
ある種の「断絶」を抱え込んだがゆえの姿勢であるといことはいえるのかもしれない。

  「非科学的なものへの倦厭」と「科学思考」は間違いなく「昭和人」の特徴である。
  それは戦争の最終段階で日本人たちがほとんど古代的な霊的熱狂のうちに耽溺したこと
  への国民全体の深い自己嫌悪に裏付けられている。
  (同上/P.23)

そういえば、河合隼雄も、おそらくは「非科学的なものへの倦厭」と「科学思考」ゆえに、
最初は数学者を目指したが、同じ科学精神のもとに接近した心理療法が、
やがては、ユング心理学という、ともすれば非科学的な見方さえされてしまうような、
ある意味、新たな科学領域を開拓しようとする、超科学的なものに向かった。
科学的たらんとしてある種のスクエアな信念を貫いた思想家と、
科学的たらんとするがゆえに、既存の科学の拡張に向かうことになった数学者である。
数学者といえば、岡潔の数学は、ある意味で、既存の数学を拡張しようとした印象がある。

さて、こうしたことを見ながら思うのは、
自分が陥ってしまいかねない思考の枠組みにどのように気づくかということである。
みずからのなかのある種のトラウマ故に、それを抱えながら克服しようとするがゆえに、
かえってそのアンチ・トラウマにとらわれてしまう危険性がある。
できうれば、河合隼雄のように、まっすぐであるがゆえに、
そのまっすぐの先にある壁に気づいて、その壁を突き抜ける、
または迂回する、壁を変容させる・・・といった方向をとることができればと思う。