まるで僕らは変わることを問われているようだ
ある日、「自分をデザインする」とはどのようなことだろうかと思った。
誰でも多かれ少なかれ、自分の容姿をより良く変えたいと願ったりするもの
だ。「誰にでも当てはまる美しさはあるのか」「理想に近づくルールはある
のか」「そもそも自分をデザインできるのか」そんな考えごとをし始めるう
ちに、いくつかの前提を思い浮かべた。
「人は自分の姿に満足していない」
(・・・・)
「人は変わりたい」
(・・・)
「人は自分だけでは変われない」
(・・・)
「人は自分を愛したい」
(・・・)
「変身は必要か」
(・・・)
「自分をデザインする」というテーマを語る時、それが「人が変わる」と内
実に直結する以上、ただ表象(外見)の変身術やノウハウを述べても、通り
過ぎる流行に触れるにすぎない。もはや人々の美しさの基準は、浅薄なもの
から奥深さへと時代意識そのものが変わりつつあると思う。
(柘植伊佐夫『さよならヴァニティー』講談社2012.4.5発行/P.10-15)
柘植伊佐夫。
「つげ・いさお」と読む。
1960年生まれ。ヘアデザイナー。
「ビューティー表現」の枠を越えて、
「キャラクターデザインとその実製作を統括する『人物デザイン』」を行い、
「龍馬伝」でも「人物デザイン監修」を担当している、という。
どこかで耳にしたことがあるようにも思うが、
この本を手にするまで、『人物デザイン』をしているという
この人のことを特に意識はしていなかった。
その著書のタイトル「さよならヴァニティー」に惹かれて読み始めている。
「ヴァニティー」というのは、「虚栄心」。
「虚栄心」に「さよなら」、である。
「自分をデザインする」こと、美しくデザインすること。
そのためには、自分を変える必要がある。
どうやって。
「さよならヴァニティー」だから、
表面的な見かけだけを変えるのではなく、
それなりの仕方で、美しく「自分をデザインする」必要があるということなのだろう。
「浅薄なものから奥深さへ」。
そこに「自分をデザインする」がどのように関わってくるのか。
東日本大震災そして原発事故が起こったことで、
日本でも多くの人が「変わらなければならない」ということを
多かれ少なかれ意識するようになってきているのだと思う。
しかし、どのように「変わらなければならない」のかを
しっかりとしたビジョンで「答え」を与えてくれる人はおそらくいない。
「答え」を与えてくれないところから始めるというのが、
とても大切なことなのだろうと思う。
そして、「答え」が用意されていない「問い」をもつということ。
本を読み終えてから書こうとすると
その「問い」が「問い」になってこないように思い、
これから、少しずつ読み進めながら、
そうした「自分をデザインする」ということについて
あれこれ考えてみようと思っている。
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