風のトポスノート734
世界を変える・自分を変える
2010.2.28

 

 

   千里の道も一歩から始まる。私も一歩を踏み出し、そしてみごとに
  つまずいた。
   若いころ、世界を変えるようなことがしたいと夢見ていた。しかし
  20代で「アフリカを救いに」出かけた私が思い知ったのは、アフリ
  カ人は救いなど求めていないし、必要としてもいないということだっ
  た。慈善事業や先進国からの援助がもたらした、ひどい結果をいくつ
  も目にした。援助プログラムが失敗すれば、状況は変わらないどころ
  か悪化さえした。そのうえ、親しくなった人たちのあいだでルワンダ
  大虐殺が起こった。衝撃が夢をしぼませた。もうたくさんだと私は思
  った。ほんの少しでもだれかの役に立てたなら、それで十分ではない
  か。
   だが、そうではなかった。貧富の格差は世界中で広がりつつある。
  いまの世界の状況は、経済的だけでなく社会的にも、持続可能ではな
  いのだ。それに「貧困」は、人々が怠けているから生じているのでは
  ない。むしろ私はアフリカで、人々のとてつもない粘り強さを学んだ。
  貧困という現実があるのは、ただ障害が多すぎるからだ。一人でも重
  病の子がいたり、夫が死んだりすれば、一家の貯金は吹っ飛び、借金
  地獄に陥り、永久に貧困から抜け出せなくなる。
   このままでいいはずがない。20代のころの理想主義が、40代に
  なってもどってきた。ただの願望ではない。地に足をつけ、実際主義
  をもって前を見るのだ。
   新しい発想で貧困問題に取り組むため、私は2001年に非営利団
  体<アキュメン・ファンド>を設立した。
   アキュメン・ファンドは、集めた寄付金を無償援助に使うのではな
  く、世界で最もむずかしい課題に取り組もうとしている起業家に、慎
  重に投資する。これまで政府や慈善事業が失敗してきた地域で、手の
  とどく費用で受けられる医療、安全な水、住まい、エネルギーといっ
  た不可欠のサービスを提供する起業家たちだ。私たちは投資の成果を
  経済的観点だけでなく社会的観点からも測り、学んだことを広く世界
  各地の人々と共有する。
   低所得者層が、「犠牲者」としてではなく「顧客」とみなされると
  き、また市場が低所得者層のニーズを起業家に伝える装置となるとき、
  何が起こるかを私たちは見てきた。起業家が立ち上げた事業はやがて、
  自律的に機能し広がっていく、ひとつの経済システムを生み出すのだ。
  (ジャクリーン・ノヴォグラッツ
   『ブルー・セーター/引き裂かれた世界をつなぐ起業家たちの物語』
   英治出版 2010.2.15.発行/P.9-10)

世界を変えたいと思うことは、そんなにむずかしいことではない。
しかし、実際に世界を変えることは、
どんなに小さなことでも容易なことではない。

世界を変えるということは、
自分はそのままでいて自分の外の世界を変えるということではない。
自分を変えることなく世界を変えることはできないだろう。
世界には自分が含まれている。
自分だけが変わらずにいるわけにはいかない。
もちろん、自分をある種の理想に向けて、
なにがしか変えることができたとしても、
そのことで実際的に外の世界を変えることができることは稀なことだろう。

しかし、世界を変えるということは、
この今ある自分にとっては、まず自分を変えることに他ならない。
どんな小さなことでも、自分の理想(というほどのものでなくても)に向けて
自分を変えることができたとき、ほんのわずかでも世界は変わっている。
カオス理論にバタフライ効果というのがあるが、
蝶の羽ばたきがやがて大きな変化を及ぼし得るということはあり得るし、
自分の今もっているさまざまな偏見のうち、少しでもなくすことができただけで
も、
それが連鎖していくことで、何かが起こるということがないとはいえない。
目に見える変化ではそれがなかったとしても、
少なくとも自分の「自由」はそこにおいて大きく広がりはじめる。

もちろん、自分を変えるということは、実際問題として
世界を変えるというほどに困難なことでもある。
ささいな習慣でさえ変えるのは容易なことではない。
自分の趣味、嗜好、愛憎などはもとより、
自分のさまざまな能力を拡大させていくことも、
そこにはさまざまな困難がある。
そしてその困難の最初には、
自分で自分の前に築き上げた「壁」が立ちはだかっている。

とはいえ、おそらくほとんどの人は自分を変え、
世界を変えたいと思っているのではないだろうか。
そしてその方法の選択において、大きく二種類の人間がいる。
ひとつは、世界を変えたいと思い、それに立ち向かうことで、
結果的に自分を変えることに向かう人間。
もうひとつは、自分を変えたいと思い、それに取り組むことで、
結果的に世界を変えることに向かう人間。
外向的な方向性と内向的な方向性。
おそらく経済や起業等への関心に向かいやすい人は前者、
哲学や芸術、宗教等への関心に向かいやすい人間は後者なのだろうが、
現代、そして未来に向かうビジョンにおいては、
その両者が統合的なかたちで螺旋状に絡み合っていく必要があるのだろう。
そしてその螺旋状のビジョンをつくるために、
シュタイナーの人智学はとても有効な示唆を与えてくれている。

上記の引用にある著者は、いうまでもなく
まず世界を変えようと(感動的なまでに)実際的に行動した人だが、
その結果、おそらく自分を大きく変えることになったのだろう。
最終章にある次のような言葉はそれを意味しているように思う。

   私がこのすべてを学んだのは、知り合いになる機会に恵まれたすば
  らしい人たち、一緒に仕事をした同僚、ともに旅した仲間、そして大
  切な家族と友達を通してだった。テニソンの『ユリシーズ』のなかの
  私のお気に入りの一節に、「私は自分が出会ったすべての一部だ」と
  ある。そして、そうした人たちはーー一人ひとり、善人も悪人もーー
  私の一部だ。(P.385-386)