ギヨーム・ド・マショー

2013.5.4

今日の音楽は、フランス生まれの作曲家・詩人・哲学者・天文学者で、
アルス・ノーヴァ(新技法)といわれるこの時代の音楽を代表する作曲家の
ギヨーム・ド・マショー(Guillaume de Machaut, 1300年頃 - 1377年4月13日ランス)。

アルス・ノーヴァ(Ars nova)というのは、14世紀のフランスで栄えた音楽様式で、
1322年頃にフィリップ・ド・ヴィトリによって書かれた、
新しいリズムの分割法と記譜法を論じた音楽理論書『Ars nova (新技法)』からきている名称。
それ以前の音楽様式はこれに対して「アルス・アンティクア(Ars antiqua)」と称されている。
また、その後14世紀末から15世紀初頭において極度に複雑化したアルス・ノーヴァの様式のことは、
アルス・スブティリオル(Ars subtilior)と呼ばれる。

さて、ギヨーム・ド・マショーは、シャンパーニュ地方ランス近郊のマショーの貴族出身。
聖職者になるための教育を受け、ボヘミア王兼ルクセンブルク伯ヨハンの秘書に。
そして、ヨハン伯の兵と共にイタリア、ハンガリー、ボヘミア、シレジア、プロイセン、
ポーランド、リトアニアなどヨーロッパ各地に赴く。
1346年、百年戦争初期のクレシーの戦いでヨハンが戦死すると、
後のフランス国王ジャン2世(1350年 - 1364年)の妃であるヨハンの娘ボンヌに仕え、終生ランスで過ごす。
1349年のペスト(黒死病)大流行の後、自作品を集大成し、それが数冊の「マショー写本」として残されている。

マショーは聖職者であったにも関わらず、作品は典礼のための宗教曲よりも、
宮廷風の愛や、世相を歌った世俗曲が多いが、最も有名な作品は『ノートルダム・ミサ曲』(聖母のミサ曲)であり、
6章のミサ通常文が一人の作曲家によって作曲された最初の作品と言われる。
世俗作品としては、レー、ヴィルレー、バラード、ロンドーなど単声(モノフォニー)
および多声(ポリフォニー)の歌曲(シャンソン)を多く残している。
逆行カノンの3声のロンドー『わが終わりはわが初め』などがある。
詩人としては、老マショーを慕って彼の元を訪れた19歳の少女ペロンヌ・ダルマンティエールとの
プラトニックな老年の恋を歌った『真実の物語』(Le Voir Dit)が知られている。

以下、井上太郎『レクイエムの歴史』(河出文庫)より。

   作曲家でもあると共に詩人でもあったマショーは、詩と音楽の組み合わせに精緻な
  技巧を凝らしており、特にリズムは複雑を極めている。これはこの時代に盛んであっ
  た数理による象徴主義の反映と観ることができるが、耳には決して聴きづらいもので
  はない・
   音楽はギリシアのピュタゴラスの時代から、「数」の象徴の学として扱われてきた
  が、この時期に一つの極に達したのである。当時アヴィニョンにあった教皇庁を中心
  とする聖職者たちの社会では、音楽を耳で聴くよりも、記された音楽の構造の神学的
  もしくは哲学的意味を重視していたようである」。

それでは、「ヴィルレー「甘き淑女よ」(Douce dame jolie)」。
「ヴィルレー(仏語:virelai、英語:virelay)」というのは、
中世フランスの詩形ならびに音楽形式のこと。
「回転する・させる」という意味のフランス語“virer”に由来し、韻を転用するところからきているようです。
ロンドーやバラードとともに、「三大定型詩」の一つで、
13世紀から15世紀のヨーロッパにおいて、最も普通に曲付けされた詩形。

http://www.youtube.com/watch?v=8Z8rt3hHUEY

同じく、「ヴィルレー「甘き淑女よ」(Douce dame jolie)」の別の演奏。
演奏は、Gothic Voices(Christopher Page, director)。

http://www.youtube.com/watch?v=_5w9Kb4NtqI

続いて、「ノートルダム・ミサ曲(Messe de Notre Dame)Sanctus & Benedictus」

http://www.youtube.com/watch?v=gFp7KF8XxI0

マショーにはいろいろ面白い曲があって珍しいので、おまけで短めの曲を。
「J'aim sans penser」

http://www.youtube.com/watch?v=hOoYtdFhfqw

もうひとつ、「わが終わりはわが始めなり(Ma fin est mon commencement)」

http://www.youtube.com/watch?v=4eSTsUayDJE