John Lennon「Starting Over」「Love」 ハナレグミ「明日へゆけ」

2013.1.1

今あけましておめでとうございます。
2013年のはじめ、1月1日の音楽は、はじめよう!ということで、

ジョン・レノン(John Lennon)の「(Just Like) Starting Over」を。
久しぶりにこの歌を聴いてみて、ジョン・レノンの存在の深みがじ~んと伝わってきた。
ここには、ファナティズムもペシミズムも感じられない。
軽みさえ感じられるなかに、深く静かな意志がある。
あらためて、ジョン・レノンのことをふりかえってみると、みずからの弱さを隠すことなく、
そのことでしか見えてこないものを観ようとしたのではないかと思う。
自分の弱さを隠すために強がりをいってファナティックになったり、
他責的になったり、問題をすりかえたり、
逆にペシミスティックになったりすることからは、何もはじまらないのではないか。
そんな意味も込めて、「(Just Like) Starting Over」。

http://www.youtube.com/watch?v=fWWbu_RSh7Q

続いて、同じくJohn Lennon の「Love」。

中学生の頃、このシングルレコードを買って
何度も何度も聞き返したことを覚えている思い出深い曲。
John Lennon の「imagine」が素晴らしいのはいうまでもないけれど、
その根底にあるもののことを見失ったとき、
そのimagineは陽炎のように内容のないものになってしまう。
「愛」がなければすべては意味をうしなってしまう。
そんな思いを込めて。

「愛」は永遠のテーマです。
この曲を聴いていた頃は、たぶん「情」との違いさえ理解できていなかったけれど、
それはもっと広大で深いもの。
そして重要なのは、「我と汝」というテーマはもちろん、
物質の深みにまで浸透される必要のあるテーマだということも。
ふつう、キリスト教的なフィルターがかかりすぎて、
とても理解されているとは思えない「キリスト」の意味もそこにまで到る。
たとえば、仏陀は愛につながる叡智の教えを説いたが、
キリストは叡智を深く湛えた愛を生きた。
物質の謎もそこまでいかないと見えてこない。
アントロポゾフィーの重要テーマもまさにそこにあって、
いわゆる「神智学」との根本的な違いも見えてこない。
ぼくがヌーソロジーに興味をもっているのも、
それが精神/霊と物質を貫くビジョンを探求しているからにほかならない。
この歌にはたぶんそこまでの意味は込められてはいないとは思うけれど、
「我と汝」の深みへと向かう「愛」の問いがなければ、どこにも行くことはできない。

http://www.youtube.com/watch?v=3G-qAKmACDE

そして、今度はJohn Lennonではなく、
ぼくの大好きなハナレグミの「明日へゆけ」(ライヴ)。

「はじまり」を迎えて明日に向かって歩きだせそうな気持ちになる歌。
決して声高にではなく、
こうして静かに静かに自分を問い直しながら今年も歩いて生きたいと思う。

http://www.youtube.com/watch?v=UBQ2xWnutic