川上音二郎一座「オッペケペー節」

2012.12.22

川上音二郎一座 「オッペケペー節」
「ハイカラ節」
「東京節」(パイノパイノパイ)

今日の音楽は、川上音二郎一座の「オッペケペー節」。
「オッペケペー節」は、明治中期、
川上音二郎が浮世亭○○(まるまる)と名乗って寄席で歌ったもので、
自由民権思想と社会風刺を歌詞におり込んで、
「おっぺけぺ、おっぺけぺっぽう、ぺっぽっぽう」の­
囃子詞(はやしことば)で結んでいたもの。

川上 音二郎(かわかみ・おとじろう/1864.2.8-1911.11.11)は、
この「オッペケペー節」で有名な福岡出身の興行師・芸術家。
書生芝居、壮士芝居からはじまった新派劇の創始者でもあり、
「新派劇の父」ともいわれている。
個人的にいえば、1985年NHKの大河ドラマ『春の波涛』
(主役は、川上音二郎の妻、川上貞奴)で、
中村雅俊が演じていたのが印象的だった。
貞奴役は松坂慶子。

それでは、録音されたものとしては日本人の最古の歌声
(歌声でないものを含めれば二番目に古いそうです)である、
川上音二郎一座の「オッペケペー節」(作・三代目桂藤兵衛/演出・川上音二郎)を。
この録音は、1900年(明治33年)、パリ万博での川上音二郎一座の公演を
イギリスのグラモフォン社が録音したもの
(1995年、イギリスのEMIに保管され埋もれていたものが発見された)。
残念ながら、川上音二郎本人の声ではないということです。

http://www.youtube.com/watch?v=8TuMWzJd6RM

続いて、「ハイカラ節」。

「ハイカラ」は、ひょっとしたら死語になっているかもしれないが、
明治時代の終わり頃、西洋かぶれを意味する流行語・俗語として生まれたが、
一般的に西洋風の身なり、生活様式をする様などを表すようになった言葉。
語源は、ワイシャツの襟であるハイカラー(high collar、高襟)から。
「ハイカラ節」は、明治41年神長瞭月の作詞・作曲により明治40年代頃流行した。
演歌師によって口伝えで、歌い継がれた。原曲に近い録音だそうだ。

http://www.youtube.com/watch?v=MUimO1KU89E

おまけは、最後の演歌師といわれていた
桜井敏雄(1909~1996)のバイオリン演歌「東京節」(パイノパイノパイ)。
1992年のテレビ出演の際のもの。ギターを弾いているのは、なぎら健壱。

最後の演歌師・桜井敏雄(1909~1996)は、石田一松の弟子で、
同じく弟子であった田浦美津路の弟弟子にあたるとのこと。
演歌師とは、明治後期から昭和の初め頃、
盛り場や街頭でバイオリン・アコーディオンなどを弾きながら
流行歌を歌ってその歌詞の本を売っていた楽士のこと。

http://www.youtube.com/watch?v=rrEipV0HH8Q