小林 賢章『「暁」の謎を解く 平安人の時間表現』

2013.5.28

 

●小林 賢章『「暁」の謎を解く 平安人の時間表現』(角川選書/2013.3.23)

私たちは、現在の私たちの感覚をそのまま昔にオーバーラップさせて、いろいろなことを理解した気になっている。しかし、数十年という生きた時間のずれだけで、生活の仕方や感覚、そして言葉の受け取り方まで思いのほか変わっていることが多い。そのズレがある程度わかっているときというか、検証可能なときはまだいいのだけれど、それがむずかしいとき、お互いに分かった気になっていても、理解している内容がかなり異なっていることが多分にあり得る。気をつけなければならない。

その時間差が、歴史的な何百年、何千年ということになるとなおのこと、私たちの理解はとほうもなくずれている可能性が高い。古代ギリシアの哲学者の言葉を今読むにしても、「魂」という言葉ひとつとってもどれだけ理解の差があることか。
前置きが長くなったが、この『「暁」の謎を解く』は、平安時代の人たちが使っていた時間表現について、「そうだったのか!」と腑に落ちる説がたくさんだされていて面白い。

たとえば、現代では、一日の終わりは12時(24時)くらいにしか思ってないし、朝は何時から朝なんだろうと思っても、ひとそれぞれ朝のイメージが変わっていたりもする。もちろん、たとえば、気象庁の天気予報などで使われている説明では、朝 は 午前6時頃から午前9時頃までということになっていたりするけれど、最近とても早起きになってしまっているぼくなど、かつては朝というと午前7時からくらいのイメージだったけれど、今では午前5時、ときには午前4時でも朝だろうという感じでとらえていたりもする。
で、本書で出されている説でいえば、一日のはじまりは「寅の刻」の午前3時で、「暁」というのはは午前3時から午前5時くらいを指しているとのこと。そして、「暁」は逢瀬を楽しんだ男女が別れる時間でもあった。明けるのが午前3時なので、「夜もすがら」というのはそれまでの午前3時までということになるとのこと。つまり、平安時代では午前3時というのが分かれ目になっているということなのだ。なかなかに、ふ~ん、そうだったのかあ、である。

ちなみに、本書の章は次のような項目になっていて、それぞれについて説明されていて興味深い。これを読みながら、現代人の時間表現についての意識をあらためて問い直してみるというのもいいかもしれない。

・平安時代、日付はいつ変わったのか ・「暁」ーー男女の思いが交錯した時間 ・「有明」ーー平安人の美意識が重なる言葉 ・動詞「明く」が持つ重要な意味 ・「夜もすがら・夜一夜」ーー平安人の「一晩中」とは ・「今宵」--今晩も昨晩も ・「夜をこめて」ーーいつ「鳥の空音」をはかったか? ・「さ夜更けて」ーー午前3時に向かう動き

◎引用部分
 今日では、平安時代の女性達は一日の自然変化の表現を理解されていた語彙を使って時間を表現していたと考えられている。例えば、「暁」は「夜明け前後」を意味するが、平安時代では午前三時から午前五時の時間帯を指して使用されていた。暁になることを動詞「明く」で表現した。暁の始まる時間が、日付が変わる時間であったから、動詞「明く」(日付が変わる)使われたのだった。そして暁の始まる時間、一日の始まる時間は、寅の刻であり、現在の午前三時であった。