「山口昌男さん、亡くなる。

2013.3.10




 

先ほど、yuccaが、文化人類学者の山口昌男さんが亡くなったというニュースを教えてくれた。
学生時代からずいぶん影響を受けてきた方である。
少し前に、『道化の民俗学』を読み返してみたところだったりもした。
「トリックスター」の話である。
もっとも印象に残っているのは、『文化の両義性』。
これは「中心と周縁」というテーマでもあり、中心と周縁、正統と異端、日常と非日常、王と道化・・・
といった二極構造でとらえる発想はとても新鮮だった。
やはり、中心、正統、日常・・・といった中心のほうばかりをクローズアップする考え方ではなく、
中心と周縁は等化であって、むしろ周縁が中心を活性化するという
ダイナミズムという構造で物事を捉えると、
それまで見えなかったものが見えてくるところがある。
そうした観点を、河合隼雄さんの「中空構造」というのと合わせてとらえていけば
(これは「中心」が「空」であるというわけだから)
もっとダイナミックな構造が見えてくるのではないか、
とも個人的には考えていたりもする。

さて、少し前に大塚信一という岩波書店でこの山口昌夫さんをはじめ、
河合隼雄、中村雄二郎といった方々の書籍を出版されてきた編集者が
その関わりや著作の内容などに関して綴った本が次々と出ていた
(「トランスビュー」から刊行されている)。
学生時代からしばらくの間ずっとよく読んできた本ばかりだったので、
その背景にあったさまざまなドラマがあったことをのをとても興味深く読んだ。

・『理想の出版を求めて 一編集者の回想1963-2003』
・『河合隼雄 心理療法家の誕生』
・『河合隼雄 物語を生きる』
・『哲学者・中村雄二郎の仕事 <道化的モラリスト>の生き方と冒険』
・『山口昌男の手紙 文化人類学者と編集者の四十年』

そんななかで、編集者と学者(作者)との微妙で複雑な関係について考えさせられたのが、
この山口昌男さんとの関わりだった。
ある時期から、大塚信一さんは山口昌男さんの著作の刊行に関わらなくなる。
それは、一世を風靡した感のあった文化人類学的な視点から、ある意味少し離れて、
『「挫折」の昭和史』とか『「敗者」の精神史』といった著作に代表される方向に
向かった時だったようだ。
山口昌男さんにとってはおそらく方向転換ではなかったようだけれど
(ある意味、「中心と周縁」の周縁からの視点でもあるわけだから)、
大塚信一さんの編集者的視点からみれば、おそらくそれまでとは関わり方が
異なってこざるをえなくなったようだ。
そういえば、ぼくもその時期の本は、何度か読みかけて結局あまり印象に残っていなかったりもする。
ずっとそこらへんのことは気になっていたところなので、
あまり読んでいなかった部分を読んでみたいと思っている。