川内 有緒『バウルを探して/地球の片隅に伝わる秘密の歌』

2013.2.18



内山眞理子『ベンガル夜想曲/愛の歌のありかへ』
バグワン・シュリ・ラジニーシ『バウルの愛の歌』(上下)
小泉文夫さんの「民族音楽の礎 37. ベンガルのバウル」

川内 有緒『バウルを探して/地球の片隅に伝わる秘密の歌』(幻冬舎/2013.2.15)
というバウルを訪ねる本を見つけた。
わりと下世話なかきぶりだし、内 容的に深いわけでもないけれど、
むしろ興味本位の軽さのなかから、わざとらしくなくまったく素朴に
叡智へのあこがれのようなものが垣間見えるところに好感 が持て、気持ちよく読み進めることができた。
バウルとは「風を探す」という意味であるという説もあるそうだ。
まさに、このエッセイは、なにかを「探す」旅 だといえるかもしれない。

「探す」ことを深く掘り下げたものに、牛を尋ねる「禅の十牛 図」があるが、
なにかを探すということは、その探しているそのものが問題だというよりも、
その探している自分そのものが問いそのものとして現れてくるとい うことが重要なのだと思う。
大切なのは、探す=問うことそのものなのだということだ。
なにかを外に探すというのは宇宙の果てに向かうということに到るわけ だが、
その外への旅を通じて問いの内にこそ求めるものがあるということがわかったとき、
世界がいわば反転することになる。これは最初の一歩のように見える バウルを探す旅だが、
そんな旅にもつながっていきそうな旅だ。

バウルに関するエッセイは、
たとえば内山眞理子『ベンガル夜想曲/愛の歌のありかへ』(柘植書房新社 (2005/01))
などのほうが、
ずっと深くバウルやその歌が掘り下げられているので、
バウルに関心があるとすれば読んでおきたい1冊。
とはいえ、7年 も経っているので絶版かも。

さて、バウルについてはじめて知ったのは、
バグワン・シュリ・ラジニーシ『バウルの愛の歌』(上下/1983-1984)から。
その魅力的なバウルという 存在の話は、深く郷愁をそそるようにぼくのなかに深く残っている。
その後、バウルの歌を実際に聴いてみたいと思い、
民族音楽学者、小泉文夫さんの「民族音 楽の礎」というシリーズのなかに、
「37. ベンガルのバウル」というのを見つけて聴いたりもしていたが、
バウルに心惹かれている。とはいってもインドやバングラデッシュに
バウルに会いに行く云々 (~詣で的なもの)というのではなく、
バウル的なあり方を自
分のなかに見つけて楽しんでいるということなのだと
自分では思っている。