内田樹×光岡英稔『荒天の武学』

2012.12.20


ぼく自身は、中高生の頃ほんの少しだけ剣道をやっていたくらいで実践面での武道には疎いし、
あらゆる意味での戦いにはとても弱いだろうし、とくに勝ちたいとかも思っていないので、
戦う以前に、どうすれば戦わないでもすむようにできるかのほうを優先するところがある。
そして、これからもとくに武道に関わろうとはとくに思っていないのだけれど、
内田樹の武道をめぐる話には傾聴すべきところ、
むしろ神秘学につながるところが多くあると感じていている。
そんななかで、今回でた光岡英稔との対談は、大変興味深い。

■内田樹×光岡英稔『荒天の武学』(集英社新書0671C/2012.12.19)

対談の相手である光岡英稔には、
韓氏意拳と古武術に関する甲野善紀との『武学探求』『武学探求 巻之二』や
光岡英稔監修による尹雄大(ユン・ウンデ)の『FLOW/韓氏意拳の哲学』(すべて、冬弓舎刊)といった
武道の哲学を越えて時間・記憶・自我などについての、
神秘学にもつながり得るような考察がたくさんつまっている著作があり、注目していた。
おそらく、このところぼくがずっと観ている「ヌーソロジー」の「奥行き」に関する
さまざまな視点とも深く関係してくるとこもあるだろうと思っている。

たとえば、本書にはこのような話がある。

  光岡 武道も平和な社会だと、ある程度のひとりよがりが許されるので、小さい道場
  から大きな組織に至るまで各流派が「このルールでやることが武である」という定義
  を持てるわけです。みんなお山の大将でいられる。平和な時代ならそれでもいいでし
  ょうが、今のような時代になって、正面から「武とは何か」を問うた場合、要は「原
  発だろうが核兵器だろうが相手にします」と言えるのかどうか。そこが武の本質とし
  て今問われているところだと思います。(P.46-47)
  内田 危機といってもいろいろなレベルがある。地震とか津波とかの天変地異もある
  し、戦争やテロもある。自分に向かって誰かが包丁を振り回して襲ってくるというレ
  ベルの危険もある。病気とか怪我とか加齢による身体能力の低下もある。社会不安が
  増大して、マスヒステリーになった人たちが人民裁判で人を殺したり、独裁制になっ
  て秘密警察がぼくみたいな態度の悪い人間を捕まえて粛正したりというような政治的
  な危機がある。武道家はそのすべてに対して備えていかなければならない。(P.49-50)
  内田 荒天型の武道家は、まず自分が置かれている状況を大づかみな歴史的な文脈の
  中でとらえるところから始めると思うんです。政治も経済も社会問題も宗教も学術も、
  自分が投じられている状況の変化を決定するさまざまな因子については、できる限り
  の情報を集め、それぞれについての知見を深めようとすると思うんです。(P.52)

狭い意味での「武」ではなく、宇宙論にまでひろがるとともに、
それが目の前のさまざまな「危機」に対する備えともなるような、
そんな「荒天の武学」とそれと関係するさまざまなテーマについて、
これからしばらく自分なりに観ていきたいと思っている。