保坂和志『小説、世界の奏でる音楽』

2012.12.2

●保坂和志『小説、世界の奏でる音楽』2012.12.2

保坂和志の『小説、世界の奏でる音楽』 (中公文庫/2010.10.23) が
(まったく個人的にかもしれないが、全部で500ページ以上あるにもかかわらず)すごく面白い。
これは、『小説の自由』『小説の誕生』に続く、小説論3部作の完結篇。
このなかには「小説論という小説」(いろんな作品を引用しながら、
その作品に関連したさまざまなテーマで思索が展開されていくという小説)が10篇収められている。
たとえば、こんなテーマ(「私たちの生を語る言語」「緩さによる自我への距離」「私は夢見られた」
「主体の軸となる現実は……」「われわれは自分自身による以外には、世界への通路を持っていない」など)

テーマは、言語や自我や主体、世界との関係性など、とても哲学的なものが多いのだけれど、
それをさまざまな作品の読みのなかで坦々と問いかけていくのが、
それらの問題意識がぼくの問題意識と重なっているところもあり、
まるで読んでいるぼくとの二人三脚のような感じがしてきて共感するところが多い。

そして、それぞれのテーマの面白さに加えて、
最初に「個人的に」といったことが加わってきてちょっとびっくりしている。
今8篇目を読み始めたところで、数日ごとに1篇くらいのペースで読んでいるのだけれど、
それぞれのテーマがシンクロニシティのように、別のところで考えていたり、
読んでいたりしていたテーマが読んでいるところとかなり深く重なってくる。

ちょうど先日、平田オリザについての映画を観て、
現代演劇のほかの作家の作品・岡田利規の戯曲読もうと思っていたときに、
それを小説化した『三月の5日間』という作品が読まれていく篇になったり、
ヌーソロジーの関係で参照していたラカンやニーチェの関連してテーマが思索されていたりという感じである。
小さいところまで挙げていたらシンクロニシティの嵐のような感じ。ちょっとコワイくらいに。

そういう個人的な事情は別として、
言葉について、小説について、主体について、存在についてなどなど、
そうしたテーマについて考えていくときにでてくるさまざまな問いがここには多様に、
まさにタイトルにあるように「音楽」が奏でられるように語られている。
実は、この三部作の完結編の前の『小説の自由』『小説の誕生』は
ほとんど読み飛ばし状態だったので、勿体ないことをしたと思い、
これを読み終えたら最初から読み直してきたいと思っているところである。
また、さまざまにあらたな問いを持てるのではないかと期待している。