港千尋『ヴォイドへの旅/空虚の創造力について』

2012.11.26

●港千尋『ヴォイドへの旅/空虚の創造力について』(青土社/2012.9.28)2012.11.26

先週の土曜日、能勢伊勢雄さんの開いている「岡山遊会」に参加。
相変わらず夜中の12時から朝6時過ぎまで。
テキストは、アレクサンダー・フォン・フンボルトの「自然の諸相」。
面白かったのは、能勢さんが以前かなりつっこんで調べていた、
たたら製鉄と吉備津彦・神社などとの関係の話。

それはともかく、来月からのテキストが、写真家の湊千尋の『洞窟へ』(せりか書房)だということで、
これはずっと以前にでていた本だけれど、
新刊を調べると、港千尋『ヴォイドへの旅/空虚の創造力について』(青土社/2012.9.28)がでていた。
読み始めてみると、これが面白い。
彫刻、建築、メディアをめぐって「ヴォイド」、「なにもない空間」を求める旅の話。

半田広宣さんのヌーソロジーで、通常の幅としての空間世界ではない、
見えない「奥行き」の世界の話がでてくるのだけれど、
ある意味、これは、今、ぼくのメモしている、
シュタイナー関連の「反世界」としての「エーテル空間」でもあるように思える。

ある意味、これも「なにもない空間」だとされているところに
「奥行き」を創造的に見出すことだということもできそうである。
「空」なる世界は、充溢の世界でもある。
これからの世界観にとって、とても大切なものを「観」る「空虚の創造力」が求められてくるはずである。

本書のなかには、ぼくが来年のカレンダーにと取り寄せた
イヴ・クラインの「ヴォイドの劇場」についての「空虚の発明」という章もあったりする。
少しばかりシンクロしているというか、ずっといろんなところで考えていたりすると、
それに関するテーマが引き寄せられてくるということなのだろう。
器を準備しておくとそのからっぽの空間に、自ずと必要なものが盛られてくるということ。

少しだけ引用しておくことにしたい。
「身体的な経験、地質学的な経験と並んで人間にとって重要なヴォイドは、宇宙が与えるものである。
前者と違って、宇宙は直接手で触れることはできない。宇宙的なヴォイドの経験は、観察と思弁をと
おして与えられるものであり、それが数々の神話を生み出すとともに、近代科学における宇宙観にも
つながっている。」
「ある意味で宇宙的なヴォイドの経験は、人間に残された最後のフロンティアかもしれない。現代の
宇宙論は宇宙の起源と限界を考えているが、そこにはまだ分からないことがあまりに多いからである。」
(P.218-219)