『アートと音楽 ──新たな共感覚をもとめて』

2012.11.20

■『アートと音楽 ──新たな共感覚をもとめて』(フィルムアート社/2012.11.1)2012.11.20

「アートと音楽 ─新たな共感覚をもとめて」(東京アートミーティング[第3回])が、
今(2012年10月27日~2013年2月3日)東京都現代美術館で、開催されている。
その公式書籍ということで、『アートと音楽 ──新たな共感覚をもとめ』(フィルムアート社/2012.11.1)がでている。
(監修・東京都現代美術館/著者:坂本龍一・岡田温司 ・池上高志 ・若尾裕・眞壁宏幹 ・畠中実・長谷川祐子ほか)

たんに、音楽を聴く、アートを見るというのではなく、
音楽を見る、アートを聴くといった共感覚的な
「音楽」と「アート」との関係性を再構築し、
感覚の未来へ向かおうとする試みなのだろうと思う。

このなかにはでてこないけれど、
シュタイナーは1915年1月1日の
「色と音の世界を道徳的に体験する」という講義のなかで、
「色や音や形の外的な印象に関わるだけではなく、色や音や形の背後で体験できる事柄、
色や音や形の中で開示される事柄にも関われるようになること」が重要で、
「この点において、未来の人間の魂はきっと重要な発見をいろいろとすることでしょう」
「人間の魂は自分の中に存在する道徳的、精神的な本質と、感覚の輝きを通して私たちに
もたらされるものとを、いつかは本当に一つに結びつけるようになるでしょう」
と言っているが、
この「新たな共感」への試みが、この方向性を指ししめすものであればと願っている。

さて、シュタイナーの示す方向性よりはずっと前に戻ることになるが、
本書に収められている若尾裕(臨床音楽学)「物語から離れて漂流する音たち」から。
「どう見ても音響芸術は音という時間に制約されたメディアからの離脱を目指し、
視覚芸術は物体という空間制約的メディアからの離脱を示しているように見えます。
つまり、音楽は音のない音楽を、
そして視覚芸術は視覚のない芸術を指向していることになります。
マルセル・デュシャンはずっと昔に概念芸術を非網膜的美術と呼びましたが、
ゼス・キム=コーエンはそれにならい、前者を非内耳的音芸術と呼んでいます。」

音は通常私たちの耳を通じて聞こえ、
視覚は通常私たちの眼を通して見えるわけだけれど、
単にそれだけではなく、ある意味、その奥行きというか、
その背後で共通して働いているもののことを考える
必要があるということなのだろうと思う。